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ヴェネツィア共和国時代からのこの街(国)の中心地。サン・マルコ寺院(上写真正面)、旧政庁(上写真左及び下写真)、新政庁(上写真右)、コッレール博物館(サン・マルコ寺院の向い)に囲まれたスペースで、広さは82m×157mとかなりのもの。普通の広場として考えれば広すぎますが、ヴェネツィア共和国の往時の繁栄、政治及び宗教の公式行事の場であったことを考え合わせれば、この広さも頷けます。 | |||||||||||
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上写真:1720年創業、ヨーロッパ最古のカフェと言われるカフェ・フローリアン(新政庁の1階)。その歴史、立地も含めて、ここのサロンは確かに素敵なところです。世界でも稀に見るブランド力のあるカフェであると言えるでしょう。ただ今現在、本当に世界で勝負しているファッションブランドなどとは異なり、名実共に素晴しいというわけではありません。東京には、ここより安い値段でより美味しい店が幾らでもあります。もっと居心地の良いカフェも枚挙に暇がありません。従業員も、美術館の監視員が大声で雑談するは携帯電話でお喋りするはのイタリアにあってはましな方ですが、とても一流とは言えません。銀器が曇っているのは、歴史ではなくて怠慢です。特にひどいのはトイレで、半強制的に使用料を徴集する以外、安宿のそれと違いを見いだすことはできません。実態は田舎町のお山の大将、井の中の蛙という表現がぴったりです。にも拘らず、その歴史や立地が亡霊のようにまとわり憑いているために、毎日毎日新しい客(観光客)がやって来ます。ここでは、二度と来ない、常連にならない、という普通の客の意思表示が問題として取り上げられる必要がありません。このカフェは、もしかすると世界一不幸な繁盛店なのかも知れません。 | |||||||||||
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鐘楼(Campanile、高さ96.8m、1912年の再建)とドゥカ―レ宮の間を抜けてサン・マルコ運河へ。2本の柱は、 サン・マルコの象徴「有翼のライオン像」(写真左)と「聖テオドール像」(右)。かつてはこの柱の間で処刑が行われていたそうです。 運河の向こうには、サン・ジョルジョ・マッジョ―レ教会(S.Giorgio Maggiore)が臨まれます。 |
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サン・マルコ運河沿いの様子(上左写真と対岸のサン・ジョルジョ・マッジョ―レ(上右写真)。 | |||||||||||
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