Milano(ミラノ)の街
駅の規模とデザインはもはや首都の貫禄なのですが、駅から一歩出て歩き始めると、印象はどんどん悪くなっていく。ローマ、フィレンツェ、ヴェネツィアといった街とは異なり、空間が無闇に広くとられて間延びしており、徒歩での移動には向いていないのです。
なにしろ広い。なにしろ遠い。やたらと大きな広場や公園があるのもよろしくありません。延々と続く公園や巨大なビルをパスしなければ、次の展開が現れないわけで、歩いていて退屈なことといったらありません。
上左写真は中央駅を一歩出たところからの景色。この右側にピレリビルが立っています。右写真は駅から一直線にのびるメインストリートの歩道の様子。写真のあたりは大型トラックが余裕ですれ違えるほどの幅に加えて大きなポルティコ付き。白いテントのような部分はレストラン。たくさんの人が移動する(この日は見た通りほとんど無人でしたが)、屋外で食事や商売などをする(個人的意見ですが、ここで食事をしたいとは思いませんでした)、雨のかからない部分も欲しい、など、すべての必要と思われる事柄を余裕を持ってこなそうとした結果なのでしょうが、この街を悪くしているのは、この間延びしたスペースの取り方にほかならないのです。
頻繁に現れる巨大な交差点もいただけない。タテヨコの十字交差だけならまだ良いのですが、質が悪いのはナナメに交わる道(自然発生的な街の法則性のない入り組んだ街路網を想像してはいけません。)が多いことで、歩行者は地図を片手にしていてさえ混乱せざるをえません。しかもほぼすべての道が極太で、隣の道が遠いことといったらありません。そんな調子でタテヨコナナメに分かれられると、方向が分からなくなりやすく、地図と照らし合わせてもどの道が地図のどれにあたるのか、甚だ分かりにくいのです。
道も歩道も広場もとにかく大きく、人間的スケールに合っていないことは明らかです。しかし一方、そうした広場や道が人で埋め尽くされることもなくはないわけで、この問題はそう単純なものではありません。単純ではないのですが、単純に、ローマやフィレンツェといった観光客がどっと押し寄せる街が、ミラノのように広いスペースを確保していたかといえばそんなことはありませんでした。ミラノだって、少なくとも観光客が歩かないような路地や歩道は、単純に規模を縮小しても良いはずです。より人通りの多いローマの路地よりも、車道は1.5倍以上、歩道は2倍以上も広いのですから。車は道が広がったところにどんどんやって来るものですが、人はその反対です。ローマにしてもフィレンツェにしても、狭ければ狭いなりになんとかやっているわけですし、だから車通りが少なくて過ごしやすいということもありました。車がビュンビュン、人も安心して歩けます、というのはほとんどの場合幻想と思った方が良さそうです。安心して歩けるかわりに二倍の距離を歩けと言われたら誰だって嫌なのです。少ない歩行距離、すなわち、ある程度限定されたスペースのなかに街が詰め込まれ、様々な人やもの、機能、体験が高密度に詰め込まれておればこそ、街は愛すべきものとなるのです。
上左写真は駅から街の中心(旧市街にあたる地域)に向ってのびるメインストリート。極太の道路の間に無意味な緑地帯、広い歩道があり、さらにその外側にも緑地が設けられている。
上右写真はセナート通り(Via Senato)の内側(旧市街)の街路。旧市街にしても、その中心であるドゥオーモ広場からして広すぎますが、この範囲にはまだまともな部分が残っています。右写真もこの範囲のものですが、やはり少し広いように思われます。
上左写真:オペラ座とオペラ座広場。このオペラ座広場も、ちょっとした街のドゥオ―モ広場よりも広い。
上右写真:道路が広すぎてもはや門の趣はまったくないヴェネツィア門。
さて、このように広くとられた歩道や広場が心地よく快適で便利で、そしてその結果賑わっているのかと言うと、かなりの確立でそういうことにはなっておらず、たとえば外で食事をする人の数ひとつとっても、ローマやフィレンツェとは比べるべくもありません(すなわち、一つの位相における評価ではありますが、ローマやフィレンツェの方が街として良いということです)。店側では立派な暖房器具まで用意してくれているのですが、寒さ云々に関係なく、この街ではそういう気分になりにくいように感じられました。ガッレリアなどでは、そもそも屋根があるところに更に温室のような囲いまでしてくれているのですが、それでも室内の席を選びたいと思いました(ガッレリアでは、二階の室内の窓側という席があれば最高だと思います)。この街では、外がうるさいからとか寒いからといった理由ではなく、なんとなく、しかし確実に、外で食事をする気分ではないのです。その原因は、言うまでもなく街の造り、間の取り方の不適切さにあるのですが、それは街のあらゆる要素の複雑に絡み合う関係性のなかにある不適切さ、バランスの悪さであり、そうである以上、個別的にここが悪いあそこが悪いとあげつらってみてもあまり意味はないわけで、良い街を造るためには地道に歩いて体験を積み重ね、分析を繰返す以外にはないのだと痛感させられます。
ローマやフィレンツェでは車というとアルファロメオやランチアが目に付いたのですが、ここミラノでは、ポルシェが流行っていました。色はシルバー。水冷化以降の新しいものばかり。この街には、高性能とハイテクなイメージが良く合っているのです。
庶民的な雰囲気のブエノスアイレス大通り(左写真)とブエノスアイレス大通りの裏で見つけた教会。当日は結婚式が行われていました。
新しい建物が緩やかな道のカーブに沿って立ち並び、一大ショッピング街となっているV.エマヌエーレ通り。街の中心部である以上、地上レベルに商業施設など退屈でない機能を設定するのは半ば義務であると言えるでしょう。