Duomo
イタリアンゴシックの最高傑作との誉れも高いミラノのドゥオーモ。とはいえ個人的には、規模や様式や歴史云々は別として、それほど感動できる質のものではありませんでした。ファサードのシルエットも格好良いとは言い難く、全体としての美しさにおいてはフィレンツェのドゥオーモの方が余程勝っているように思うのですが、数え切れないとさえ思われる程の尖塔の連なりは、人の目を効果的に惹き付けます。効果的にというのは、実際よりも凄いもののように思わせることに成功しているということであり、写真に撮られるとこれはなお一層効いてきます。商店に取り付けられた看板や馬やゴリラの像のように、ここでは、建築本体とはなんの関わりも持たない付加物が、主役の座を欲しいままにしているのです。
ドゥオーモの周囲には、とにかく広いスペースが空いています。ドゥオーモ正面のドゥオーモ広場は、V.エマヌエーレ世のガッレリア、王宮、ドゥオーモに囲まれた広場で、大きな観光バス(下写真のガッレリア左のオレンジ色の点はバスの連なり)がたくさん乗り付けても気にならないほどに不適切な広さです。ドゥオーモを良く眺められるように設えられたかのようなこのスペースが、実際には、この街を歩いてきた者の体験から空間の抑揚を奪い去り、ドゥオーモの大きさ偉大さ荘厳さを相殺してしまっているのです。
フィレンツェのドゥオーモに明らかに負けているのはこの広場、街を悪くしているこの広場の方であり、ドゥオーモそのものは甲乙付け難いというのが本当のところかも知れません。ドゥオーモの南側の側面には王宮があり、こちらも大きなスペースが空いています。
明るい南側(上写真)と暗い北側とでは、同じ仕上がまるで違うもののように見えるほど、雰囲気が異なります。明るい南側では光が天上のもののように感じられ、暗い北側には荘厳な空気が流れます。狭い街路をくぐり抜けてきて、適切な広すぎない引きでもってこの相反する光にそれぞれ出会うことができたならば、と考えずにはいられません。
真直ぐに伸びた巨木が連なり、はるか頭上で枝を張る。
こうして改めて写真を見ていると、この聖堂の内部空間が持つ凄みを認めることができるのですが、実際の印象は違います。現実にはだだっ広い広場からエントリーするわけで、そうである以上、どんなに巨大な空間であっても、空の高さにはかないようがないのです。
この建物は、建物それ自体としては相当なレベルのものに違いありません。しかしながら、美術館の広いスペースに置かれた展示物のように、ひとつの建物それ自体として、孤立無援での勝負を強いられているのです。
高い天井高をもつ側廊(下写真)
地下
ドゥオーモ屋上。
附加物(装飾)を本来とは違うところ(裏側)から間近に見ていると、なおのことそれらしく、舞台セットのように見えてきてしまいます。