Galleria degli Uffizi(ウッフィツィ美術館)
世界的に知られたルネサンス美術の殿堂、ウッフィツィ美術館。建物はかつてのフィレンツェ公国行政局で、街の中での在り方が素晴らしい。
美術館の建物は、街を歩いていると唐突に現われるといった印象で、上写真左側のポルティコ内にある入口は、行列でもない限り分かり辛い地味なもので、どの方向からやってきたとしても視線の焦点になるようなところにあるわけではありません。美術館のような建物を計画する場合、いまどきであればちょっと気の効いた学生ですら入場に向けてのシークエンス展開を考えることでしょう。ところがこの超有名美術館には、そうしたシークエンス展開がありません。都市においては、郊外や広い敷地に計画される美術館とは置かれている条件がまったく異なっているわけで、そこに計画される建物は、富士山ではあり得ず連峰の一部として、すなわち連続する建物のひとつとして、街の中に場を占めざるを得ません。しかし、だからといってシークエンスというテーマから無縁になるわけではありません。シークエンスの捉え方に転換が必要というだけで、富士山には富士山の、連峰には連峰の、シークエンス展開があるのです。不完全であまり深くない考察に満足している教育者が教えてくれるシークエンスというものは、富士山に向けてのイロハのイとでも言うべきものですが、ウッフィツィは連峰であらざるを得ない場合のシークエンスを考える、発想の転換をもたらしてくれる手本です。ここには建物を中心としたシークエンス展開はありません。しかしそれは、美術館とその入口に向っての、言い替えれば、美術館を訪れる人専用のシークエンス設定がないというだけで、街という連峰の一部として、連峰を歩く人々を対象としたシークエンス展開においては、重要な役割を演じているのです。ひとつの建物、富士山に向かって完結するシークエンスではなく、街の一部、連峰の一嶺として、完結しないシークエンスのハイライトとして場を占める。シニョリーア広場からウッフィツィの懐を抜けてアルノ川へ、河岸の道はウッフィツィから続く回廊の下、回廊は橋(ポンテ・ヴェッキオ)に接続し、向こう岸へと人を誘う。想像力を働かせて、ときには寄って、ときには退いて、ものごとを見るということの重要性を再認識させられます。
街路を抱え込むように建つウッフィツィ美術館。上左写真はシニョリーア広場側よりアルノ川方面を望む。上右写真はアルノ川側からシニョリーア広場方面、塔のある建物はヴェッキオ宮殿。
街からウッフィツィへ(上左)、ウッフィツィから街へ(上右)。街の街路からウッフィツィの街路へ、ウッフィツィの街路から街の街路へ。
良い広場。街路であり広場でもある、街路との区別がはっきりしないこと。空白のスペースは最小限にとどめること。緩やかな階段、建物の基壇、ポルティコなどがスペースを補う。注意深く計画された最小限のレベル差。段差は階段であり舞台でありベンチである。
シニョリーア広場から歩いて来ると、素直に自然に、アルノ川へと導かれる。暗から明、閉から開への展開。
左写真のような長く真直ぐな廊下に沿って展示室が並んでいる。左写真の場所からはアルノ川を望むことができ、ウッフィツィからアルノ河岸、ポンテ・ヴェッキオを経てピッティ宮へと続く回廊を見ることができる。
入場するにあたっては、予約なしなので1時間ほど待たされましたが、入場してしまえばPrimavera『春』だろうとNascit di Venere『ヴィーナスの誕生』だろうとAnnunciazione『受胎告知』だろうと、その気になれば一対一で好きなだけ鑑賞できる混み具合。観光のローシーズンというのは、こう言った美術館や有名観光地をじっくり見学するには最高の季節です。
それにしても、粒ぞろいと言って間違いのないたくさんの作品の中で、特別に人々を惹き付けているものとそうでないものがあるのはなぜなのでしょうか。両者の違いはどこにあるのか。作品の技術的なクオリティ自体にはそれほどの差がないにもかかわらず、明らかな差を明示することはほとんど不可能であるにも拘わらず、両者の間には雲泥の差があると言い切ることもできそうです。ウッフィツィのように高い水準の作品が山のように集められたところでは、とりわけそのことを考えさせられてしまいます。答えを得るためには、とにかく見ること。人間はすべて見ることからはじまります。そうして見ていると、画家をはじめとする多くの制作者が、寓意(鑑賞者の背後にある文化)に頼らずに、人間の精神をより直接的に刺激する方法を模索した(鑑賞者の背後にある文化のより基層に根拠を求めたとも言える)近代以前の画家の作品のなかでも、人の精神を直接振動させ得る「もの」を多く備えている作品が、別格的な扱いを受けていることが分かります。
美術館の順路の最後、退出口。ポルティコのある表側とは打って変ってあからさまに裏側という感じ。現代的な空間が設えられていてこれはこれで良いものではありますが、街との関係は希薄です。