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世界で最も魅惑的な橋のひとつ、ポンテ・ヴェッキオ。どうしてこんな橋ができたのか? という疑問は誰しもが抱くことでしょう。橋そのものと廻廊は計画されデザインされたものに違いありませんが、この橋のこの橋たる所以すなわちへばりついた商店の建物群が計画的なものではないということは誰の目にも明らかです。それは自然発生的で連綿と続いた生活(建設)行為の結果なのでしょうが、その最初の歯車はどうして回りだしたのか? ただ単に商売がしたいだけならば、なにも権力者による半ば公的な廻廊のある橋を選ばなくても、3分も歩けば隣の橋があるのです。
橋に建物がへばりついていて面白いといった印象から一歩踏み込んで、この疑問の答えを得るべく分析してみると、この橋の持つ魅惑すなわち美の理由が見えてきます。 |
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歩いてアイレベルで見ていると、橋にへばりついた建物(商店)の存在感が大きいのですが、少し離れて見ると、この橋の骨格がなんであるのかが一目瞭然に見えてきます。それは、ウフィッツィ(かつてのフィレンツェ公国の行政局)とピッティ宮を結ぶ廻廊(ヴァザーリの廻廊)であり、その一階レベル、柱廊として開放されているところに商店が挿入されて川面にまではみ出しているのです。 |
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街路に開放された屋根のある柱廊は、ポルティコや典型的なロッジアと同様に、商売にはもってこいの場所。現在、ウフィッツィからポンテ・ヴェッキオまでの河岸を走る(上写真右側手前から奥に向う)廻廊の下には、たくさんの露店商の姿が見られます。いまでは商店(の建物)で埋め尽くされたポンテ・ヴェッキオの柱廊も、かつては市場(なめし革屋や肉屋)であったということですから、そもそもは露店のような仮設的な商店形態であったことでしょう。宮殿のそばに相応しくないという理由から市場が撤去(1593年)されて以降、宝飾品店が並ぶようになりますが、現在のように固定された建物が、橋の床面からはみ出し廻廊の壁を侵食するまでになってゆく過程は想像に難くありません。 |
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アイレベルには色も形も定まらない宝飾品店が細々と立ち並び、見上げればその影(二階レベル)で、ヴァザーリの回廊がウッフィツィとピッティ宮を結んでいる。背後や上層、街路に直接接していないところに、歩行者との関係の薄い機能を配置する。街そのものの造り方としても手本とすべき実例です。 |
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橋のほぼ中央部に設けられたヌケ、すなわち商店のない部分。展望すべき対象の有る無しに関わらず、こうしたスペースの重要性は正しく認識されなければなりません。歩行者中心の活気ある街には、然るべき場所に然るべき広さの広場があるものです。地上であれ橋の上であれ、建物の外であれ中であれ、それが「街」的なものである以上、この法則は適用されるべきでしょう。街のような橋、ひとつの街のように大きな建物、展示会や祭りの仮設的な建物の配置、etc. |
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橋の上の街と地上の街との接続部。ヴァザーリの廻廊は、やはり商店の背後でなりをひそめる。 |
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街を分断する川の両岸を「街」がつなぐ。とりわけ徒歩で巡る街にあっては、川に「街」が掛かっていることの意味は大きいと言えるでしょう。その上、その橋の上の「街」のつくりの良いことと言ったらないのです。 |
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