イタリアのような国でこのような展示を見ていると、展示されている作品とその作品が空間の中で占めている位置(意味)が、キリスト教という象徴体系の中で創造されたものとは根本的に異なるのだということを痛感させられます。両者は空間と切り離して作品それ自体として見ても、同一の価値基準のなかに位置付けることは不可能であると思われます。乱暴な言い方かも知れませんが、一方(キリスト教美術)は、既存の確固たる価値観に奉仕し、既存の(価値)構造の中で鑑賞され、評価されてきたものであり、他方(シュルレアリスムの作品)は、既存の価値に対する徹底した絶望を出発点として、新たな価値をつくり出すことを目指す過程で生み出されてきたものです。シュルレアリスムでは、その運動の理念的な中心部においては、新たな神話(価値観、世界観)に到達することが明確な目標として掲げられていましたが、そうした理屈に裏打ちされた作家達の実践(試み)は、人間の精神を振動させることのできる、より直接的な方法(根源的普遍的な方法)を見い出さんとするものでした。我々がこの小さな美術館で見ることができるのは、そうした試みの過程で収穫された成果の一部にほかならないのです。
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