Peggy Guggenheim美術館
キリスト教美術に食傷ぎみのところで、癒しを求めるような気持ちで訪れた小さな美術館。小規模とは言っても、さすがにグッゲンハイムの別館というだけあって、期待を裏切ることはありません。シュルレアリスムのコレクションに重点が置かれており、タンギー、デュシャン、マグリットといった作家の良い作品をそろえています。なかでもエルンストの作品は第一級のものが複数展示されています。
美術館の建物は住宅を改造したものが基本となっており、展示室は白い壁面ではありますが、単なる白い箱ではありません。人の家に招かれたような感覚で、部屋や廊下、運河に面したテラスや静かな内庭を巡り歩きながら、作品を鑑賞するのです。これは、教会や宮殿の装飾絵画と対比して、絵画と空間との関係を感じ考える上で、実に良い機会となりました。とりわけ印象的だったのは、明るいエントランスホールに飾られたピカソで、スカッと抜けた爽やかな作品が、空間に多大な影響を及ぼしていました。

イタリアのような国でこのような展示を見ていると、展示されている作品とその作品が空間の中で占めている位置(意味)が、キリスト教という象徴体系の中で創造されたものとは根本的に異なるのだということを痛感させられます。両者は空間と切り離して作品それ自体として見ても、同一の価値基準のなかに位置付けることは不可能であると思われます。乱暴な言い方かも知れませんが、一方(キリスト教美術)は、既存の確固たる価値観に奉仕し、既存の(価値)構造の中で鑑賞され、評価されてきたものであり、他方(シュルレアリスムの作品)は、既存の価値に対する徹底した絶望を出発点として、新たな価値をつくり出すことを目指す過程で生み出されてきたものです。シュルレアリスムでは、その運動の理念的な中心部においては、新たな神話(価値観、世界観)に到達することが明確な目標として掲げられていましたが、そうした理屈に裏打ちされた作家達の実践(試み)は、人間の精神を振動させることのできる、より直接的な方法(根源的普遍的な方法)を見い出さんとするものでした。我々がこの小さな美術館で見ることができるのは、そうした試みの過程で収穫された成果の一部にほかならないのです。