Bari(バーリ)
ローマからバーリへの移動は鉄道で特急ICを使っておよそ6時間。二等の狭いコンパートメントに押し込められての6時間はちょっと堪えます。座席は6人掛けのコンパートメント。換気も悪いしかえって息苦しいので、個室にしない方が良いのではないかと思います。これがESになると、座席もだいぶゆったりして、コンセントなども使えるので大分快適なのですがICはそれ以下の車両とそう変らない気がします。
さて、バーリの街ですが、駅の正面口を出るなり大きなマンションタイプの建物が取り囲んでいることに、先ず驚かされました。このあたりは、南イタリア屈指の商工業都市として発展する新市街であり、格子状の広い道路沿いに現代的な建物が続きます。
駅から北へ800mほど真直ぐ歩くと旧市街ですが、こちらは対照的に、狭い路地が迷路のように入り組み、民家に埋め尽くされています。新旧二つの街を分けるのはヴィットリオ・エマヌエ―レ二世通りという大きな通りですが、ここから旧市街に足を踏み入れると、なんというか異界に迷い込んでしまったかのような感覚に襲われます。それはロマンチックなものなどでは決してなく、警戒心を掻き立てられ、他所者は居心地の悪さを感じざるを得ない世界です。立ち並ぶ民家は、概して簡素なものですが、白系統の明るい色調のものが多く、はためく洗濯物も絵的には愛らしく、それ自体としては決して不快なものではありません。そこここにたむろする若者や、カメラを持った観光客に気に入らなそうな視線を投げかける人々も、とりたてておかしな態度をとるわけではありません。しかしそれでも、なんとも言えず居心地が悪いのです。
イタリアを旅していて、よくナポリが危ない、夜は出歩けない、などという声を聞きました。ナポリに行ってみると、確かに言われるだけのことはありました。しかし、個人的にはここの旧市街の方が余程恐いと感じます。夜歩きたくないのは、絶対にこちらです。その恐さは、治安が悪いとか怪しげな人が多いとかゴミが凄いとか、そういう恐さではありません。そのどれもがナポリのものでありこの街のものではありません(少なくとも、比べ物にならない程少ないはずです)。
ではなぜ恐いのか。その理由はおそらく、この街の物理的な条件のなかにあるのだと思います。狭い路地に入り組んだ街路、中の様子が伺えない窓に無愛想な入口。アルベロベッロやマテーラを知っている人は想像してみて下さい。そこが世界的な観光地になっていなかったらどうであったかということを。おどろおどろしい外観のマテーラはもとより、可愛らしいトゥルッロが続くアルベロベッロでさえ、他所者が気軽に歩き回れる雰囲気ではなかったに違いありません。本来、こうした集落の街路というものは、我々が住む町の街路とは違い、相当にプライベートな空間です。各家の敷地を境に突然プライベートの空間に切り替わるのではなく、集落全体を通してそのことが主張されています。バーリの旧市街にはこうした主張ー観光化が進み毒気を抜かれた古い町(集落)が失ってしまったエッセンスーが依然として残っているのです。
そんな圧力を受けながらさまよい歩くこと数時間。日が沈みかけるなか、V・エマヌエ―レ二世通りに再び戻って来られたときには、なにか長いトンネルからやっと抜け出せたかのように感じたものでした。
訪れてみて楽しいかどうかは別ですが、そもそも町や集落といったものが他所者にとって居心地の良いものである必要などないのかも知れません。他所者には分かりにくい路地だって、土地の人が迷わなければ良いのです。下手に真直ぐな道路など通したら、通過交通量が増すだけで大して良いことなどないでしょう。騒音や空気の汚染、子供は危険に晒され、住人は自宅の車庫から車を出すのにも苦労することになるでしょう。日本においてもそうですが、風通しが良く明るく清潔で治安も良いと思われている町で、その実、空巣や車上荒らしが横行し、その土地の住人が被害を受けています。これは極端な言い方かも知れませんが、この場合、他所者が加害者で土地の人が被害者です。それに対して、このような小さな町(集落)を恐れざるを得ないのは、他所からやって来る人々で、かつその土地の住人にとってメリットのない人々です(アルベロベッロのように集落全体が土産物屋と化しているところとは違い、観光客が金を落す所などほとんどないので、その恩恵は彼らには届かない)。バーリの旧市街の在り方は、我々にとって当たり前のものとなっている町の在り方ーどこの誰であろうとどこまででも躊躇なく入って行くことができるーとは根本的に違うものですが、決して間違った在り方ではないのです。そして、間違いなくより古い起源をもつ在り方です。
リゾート開発の進む海岸沿いとバーリの海。