Pura Desa Kutuh(クトゥー村の寺院)
ウブドエリアの北西部、クトゥ村の寺院。スマラ・ラティ(歌舞団)の公演が行われることで知られています。左写真正面の建物が劇場で、左手に寺院の伽藍。公演が行われる夜はバイクやトランスポートの車で込み合いますが、朝は閑散としたものです。
さて、なにしろ素晴らしいのはこの場所で行われるSemara Ratih(スマラ・ラティ)という歌舞団の公演です。バリの伝統をベースにしたガムラン(音楽)と舞踊からなる公演で、同様の公演はほかにも多くの集団によって行われているのですが、Semara Ratihのレベルにまで達しているものを探すのは難しいのではないでしょうか。なにしろダンサーのレベルが桁違い。ガムランに関しては、同等のレベルのものが事実あり、ほかにもあるに違いないと確信できますが、舞踊に関しては違います。この日見たSemara Ratihのソリストは、世界中のどこに行っても通用するに違いないと思われました。
Semara Ratihのガムランの主役は、金属の鍵盤をカナズチのような形をした金属のバチで叩くもの。金属ならではのアタックの効いた音色で、竹のガムランをメインにした楽団の演奏に比べるとかなりハード。
女性ダンサーのレベルも高いのですが、写真の男性ダンサー2人の前では霞んでしまいます。とりわけ最初の写真のダンサー(左写真の仮面を被ったダンサーと恐らく同一人物)は圧倒的。左写真の演目では、激しい動きはおろか、ほとんど体を動かすこともなく数分間、観客の目を釘付けにして魅了する。たとえ世界中探しても、彼に匹敵するダンサーなどそう見つかるものではないでしょう。
参考資料:Tirta Sari(Semara Ratih同様の歌舞団)の公演が行われる舞台の様子。Semara Ratihの舞台よりも少し立派だが、基本的な舞台の構成は同じ。Tirta Sariでは音楽のレベルは非常に高く(Semara Ratihと同等)、竹のガムランの音色は心地良く聴きやすい。ただ、ダンサーのレベルはSemara Ratihには遠く及びません。またスポットライトを多用した照明も明る過ぎで逆効果。しかし確かに、エンターテイメント性が高いという評判通りで、ダンサーの良し悪しなど見ても分からないという人にはこちらの方が楽しめるのかも知れません。
さて、舞台については、Semara Ratihの場合同様なのですが、正面中央の役者が出入りする門のような「あな」、これが実に面白い。舞台の両脇、袖から登場したり退場したりする我々が見慣れた舞台にはない魅惑的な「あな」。次から次と怪物が出ては消えて行く「あな」。「あな」にはなにが隠されているのか、なにが呑み込まれているのか、その内側はどうなっているのか、なにが飛び出して来るのか。「あな」という概念は豊穣なイメージ喚起力を持っています。バリの舞台そのものとも言えるこの舞台の「あな」は、もとよりただの出入口ではないのです。